これがわたしの生きる道

高専女子です。近頃私がいい感じである理由を追跡したいと思います。

お化けっているのよ

 

こんばんは、高専女子です。

今日とっても暑くなかったですか?

バイトの帰り道にアイスを買ったのですが、アッという間に溶けてしまって最後の方は甘ったるい液体を飲み干す羽目になるくらいには私の地域はアツアツでした。

でも一応アイスを食べられたので良しとします。

 

もうね、暑すぎて頭が回らないんですよ…

いつもみたいな真面目な記事は書けません。

ということで、今週のお題「怖い話」を書いてみます。

 

私はとある団地に住んでいます。

私の団地は山を切り崩した所にあるせいで、団地に行くためにはとても長い坂を上らなければなりません。

斜面が急なこともあって、初めて引っ越してきた人が軽自動車でこの坂道を登れずに苦戦したという話を聞いたことがあります。

 

長い坂道のふもとは一応平地で、ガソリンスタンド、郵便局、コンビニなどで若干栄えている地域があります。ここはかなり昔から人が住んでいたところです。

 

一方、団地は今から10~20年くらい前にできました。それまではただの、いえ、訳アリの山だったんです。

 

 

私が住んでいる団地は、昔自殺スポットでした。

人気のない山を登り、森の中に入るとそこには池があります。

その池で自殺する人が多かったようです。

 

団地にするために土地を整えているので池はもうないのですが、

この団地、出るんですよね~

 

私の家の北側が寝室なのですが、この寝室は池にとっても近いみたいです。

私は南の洋室で寝ていたのですが、寝室で寝ていた母はよく金縛りに遭っていました。

髪の長い、痩せた女の人が立っているんだそうです。そして急に足を掴まれたりすると言っていました。

 

同じ部屋で寝ていた弟も見たことがあるそうで、怖くて廊下に逃げたと言っていました。

 

どんだけオカルトチックなのよ、と思うかもしれませんが本当です。

大阪の有名な占い師さんのところへ行ったり、和尚さんを家に呼んでお祓いをしてもらったり…

 

母は寝る部屋を変え、寝室のベッドもできる限り南側に移動させたので最近はそのような話をあまり聞きません。

 

ただ、今でも私の家には盛塩が供えられています。

お金があったら引っ越してたのかな~~~

 

 

 

<おまけ>

ある夏、私は徳島県に旅行に行きました。料理がおいしいと評判の民家に宿泊しました。食事は母屋、それ以外は離れで過ごしたのですが…

 

離れには3つのすべての部屋に神棚があって、壁に貼ってある紙を一枚めくるとお札がたくさんあるのが見えました。

 

私には霊感がないのですが、私の家よりもしっかりとした対策をされている辺り、いっぱい出るのかしら…なんて考えてしまいました。

なんで紙めくっちゃったんだろうね。怖くて眠るのに時間がかかりました。

 

 

結局出なかったので私はやっぱりラッキーガールみたいです。

おっしまい!!!

許す

 

これを書いている今は夜です。こんばんは。

 

今日は「許す」をテーマに私の幸せ解析をしていきます。 

 

目次

 

許せない人がいる

私はどちらかというと心が広いタイプです。それでも許せない人は存在します。

 

例えば中学の同級生。

執拗にちょっかいをかけてくる男がいたんですよ。腕に油性ペンで落書きしてきたり、細かく折ったシャー芯を消しゴムに刺してきたり… 

ちょっかいの範疇超えてる気もしますよね。とにかく私はこの人が嫌いです。

 

私の中でこのようなタイプの人間は許す価値なしです。

許さないことによって自分の心を保っています。

 

 

どうでもよくなる人もいる。

嫌な思いをしたのにも関わらず、どうでもよくなった代表格は親です。

前回の記事では親が異性関係に厳しいという話をしましたが、許せなかったことは別にあります。

それは「離婚するする詐欺」をされたことです。

中学3年生の時に、卒業後は離婚して引っ越すから県外の高校を選んで欲しいと言われました。確かに、家には離婚届がありましたし、三者懇談の場でも先生の前で公言していたので確実にそうなるのだと思っていました。

私は本当は地元の進学校に行きたかったのですが、県外の寮がある高専に入学しました。

 

そして、結局親は離婚せず、引っ越しもしませんでした。

親はそのことについて「夫婦ならそういう揉め方することもあるよね~」程度の認識だったのが私には許せませんでした。

 

進路を親の希望に沿って変更したのに、その必要がなかっただなんて… 高専に入学してからかなり長い時間、なぜ自分はここにいるのかと悩みました。

それでも今となってはそんなのどうでもいいんです。

 

 

許せないとどうでもいいの違いは何か

中学の同級生は許せないけど親は別にどうでもよい(許せた)。

これは、自分でどうにかできたかどうかにあった気がします。

 

私は初めこそ高専に行ったことをとても後悔しましたが、今では高専でよかったと思っています。それは高専だからこそ出会えた人や、できた体験が今の私を成形したと思えるからです。

 

高専で腐って退学していたら今でも親を許していないかもしれません。これからどうしていくか、というのを真剣に向き合えたことが許すことに繋がったのだと思います。

 

さすがに、ちょっかいかけてくる人がいる環境をどうにかすることは不可能ですもの。

 

 

今思うこと

今思うのは、人間て完璧にはなれないよなーということです。

私も誰かに何かしてしまっていて、許してもらって今生きているはずです。

 

これからも嫌なことを誰かにされると思います。そんな時、私はそれを許していきたいです。許すことで自分も相手も負から解放される気がします。

 

完璧になれないのを分かっているから許せる。

 

もしかしたら許すという行為も愛情なのかもしれないですね。

 

 

許すことも幸せへの一歩というお話でした🌞

最後まで読んでいただきありがとうございます

 

風船ガム🎈

 

どうも~! 自由気ままに生きている高専生です。

 

このブログ、幸せについて考えるのがテーマなお陰で、書いてて気が重くなることもあるんですよね。

 

ということで、ちょくちょく私の失敗談を挟んでいこうと思います。

今回は風船ガムの失敗談です。

 

 

先日、バイト先から駄菓子の詰め合わせを頂きました。コロナが流行している中出勤してくれてありがとう、という意味だそうです。

詰め合わせの中にはうまい棒やチョコ大福、餅太郎などと一緒に風船ガムが入っていました。 子供会でもらうようなラインナップ!すっごく懐かしい

 

普段はチョコレートを好んで食べるのですが、久しぶりに食べる駄菓子もおいしいなーっと思うと食べる手が止まらず…

 

ついに、風船ガムだけが残ってしまったんですね。

でも風船ガムは所詮ガム。別に食べて(?)も太らなさそうじゃないですか。

ちょっと味見の気分で口に入れてみました。

 

うん。ブドウ味、予想通り甘いよね。

 

アフォーダンス*1っていうのかしら。(言わない)風船ガムを口に入れた途端私の中から「膨らませなければ!!」という熱い意志が湧いてきました。

 

はじめは1粒だけで遊んでいたのですが、人間は欲深い生き物で1粒だけじゃ満足できなくなるようです。気が付いた時には4粒すべてを口に含んでいました。

そして、必死になって風船を作っていました。

 

私は中学のころからずっと吹奏楽部に所属していまして、息の扱いには慣れている方だと思うんですよね。風船ガムで遊びながら考えていたことは、ズバリ

腹式呼吸で一定の強さの息で膨らませれば風船ガムを大きくすることができる気がする!!

でした。

 

実行してしまったが運のツキ。

予想通り、見事な大きい風船が私の顔の前に出来上がりました。

 

私はかなり模範的な高専生をしているので、眼鏡を装着しています。

大きな風船は眼鏡にあたり割れました。眼鏡はガムだらけです。ぴえん。

 

あらゆる手を尽くしてガムの除去には成功しましたが…

20歳手前の女が何やってるんだろうと、とても恥ずかしい思いをしました。

幸い自宅の中での出来事だったので社会的死は免れました。(とか言ってここに晒してるじゃんね)

 

というわけで私の教訓です。

風船ガムで楽しく遊びたいのなら眼鏡は外しましょう

 

それでは良き風船ガムライフを!!

 

 

 

 

~おまけ~

駄菓子詰め合わせの中にうまい棒ならぬ、うまいジェリーが入っていました。私は初めて見てびっくりしたので報告しておこうと思います。

f:id:ko-sen_joshi:20200805221256j:plain

うまいジェリー

 

*1:環境やデザインが人間の行動をほのめかす、という考え方

ブログはじめ

おはこんばんにちは!!

私はどこかの高専に在学中の高専女子です。

 

私は最近とても楽しく幸せな日々を送っています。

しかし、この幸せはいつまでも続かないと考えています。

 

今後挫折を迎えたとき、立ち直る道しるべがあればなと思い、

今なぜ幸せであるのかを言葉にしていこうと考え今に至ります。

また、だれかの道しるべになればとてもうれしいです。

(さすがにそれはおこがましいような気もするけど...)

 

よろしくお願いします!